投稿日 2015年04月30日
「集団的自衛権行使の容認」を批判する意見書
安倍政権は2014年7月1日「集団的自衛権行使の容認」の閣議決定をし、その閣議決定に基づいて集団的自衛権の行使のための関連法を今国会で成立させようとしています。本意見書はその基となる7月1日の閣議決定が憲法の基本理念である立憲主義に違反し、憲法を持つ国の政権担当者としては行ってはならないものであることを憲法の観点から批判するものです。
1 「集団的自衛権行使を容認する閣議決定」の内容
日本国憲法9条は「国の交戦権はこれを認めない」「一切の戦力を持たない」と定め、武力での紛争の解決を禁じています。しかし、これまでの内閣は、我が国が攻撃を受けたときに限り、他に手段がなく、必要最小限の範囲内で自衛のために武力行使することを認め(個別的自衛権)、このような自衛隊は防衛のための戦力であるから憲法9条に反しないとしてきました。安倍政権は、歴代の内閣が制限的に解釈してきたこの要件を、我が国が攻撃を受けた時だけでなく「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」にも自衛隊が武力攻撃(戦争)できる場合があるとしたのです。他国への攻撃に対しても日本が武力で反撃することを「集団的自衛権」といい、歴代内閣が一貫して否定してきた集団自衛権の行使に道を開こうとしています。
2 集団的自衛権行使の容認は、立憲主義に違反する
(1) 立憲主義とは
日本国憲法は、国民の人権を最高の価値として保障することを目的とします。憲法を安易に変えてはならない理由は、憲法は国民の権利を守るためのものだからです。権力を濫用しがちな権力担当者に対し、憲法に従って政治を行えと命じているからです。これを立憲主義といいます。同じ立憲主義という言葉でも、明治憲法下のそれと日本国憲法下の立憲主義とは意味が異なります。 天皇主権下の明治憲法においては、主権者であり権力を握る天皇があまりに横暴になって臣民が悲惨な目にあっては困るので、憲法は例外的にほどほどに(法律に従うなどの方法をとることにより)天皇の権力を制限しました。これが明治憲法下の立憲主義です。 日本国憲法では主権者である国民と権力を握る人が別になり、権力担当者は主権者の意思である憲法に従い、憲法に書かれていることだけを書かれてあるとおりに忠実に実行しなくてはなりません。これが日本国憲法下の立憲主義です。
(2) 9条に違反する
日本国憲法下で軍事に関する立憲主義は明白です。軍隊は、国内最大の実力であり、軍隊をどのように扱うかは、国の命運を分かつものとして、必ず憲法に規定し、国民のコントロール下におかれなくてはなりません。明治憲法でさえ、誰が統帥権をもつか、誰が宣戦布告、講和の決定権を持つか等を規定していました。憲法9条は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」とうたい、一切の戦力の不保持をうたいました。戦力の不保持による平和国家の実現を目指すとして、歴史の先取りをしたのです。
自衛隊を持ってよい、米軍を駐留させてよい、軍事同盟を結んでよい、と書いていない以上、集団的自衛権はおろか、個別的自衛権も認める余地はありません。このような憲法において集団的自衛権の行使を認めることは、主権者国民のコントロールのきかない巨大な軍隊を世界中に放つことになります。明らかな立憲主義違反です。
(3) 解釈改憲は憲法96条違反
憲法は権力者を縛るためのものですから、憲法96条は憲法を改正する場合でも要件を厳しく定めています。また96条の改正手続きを経ても日本国憲法の根本原則である「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を変えることはできないとされています。これらは「人類普遍の原理」(憲法前文1項)とされているからです。「平和主義」を解釈で変えてしまうなどということは、その原理性からも、手続き面からしても、本来考えられない立憲主義違反です。
(4) 従来の政府解釈からも許されない
1950年、自衛隊の前身である警察予備隊を国外の軍事行動に使用するかどうかとの質問に対して、政府は集団的自衛権の行使を明確に否定しました。その後は自衛隊が発足し、年々強化拡大され、世界有数の軍事力を持つ組織となりましたが、集団的自衛権の行使に関する見解は、一度たりとも変更されておらず、「憲法上認められる余地はない」というものでした。 日本が直接攻撃されないのに、他国の戦闘行為に参戦し、しかも地理的制約をなくし、世界のどこまでも出ていくことなど、安倍政権は憲法そのものを実質的に破壊しようとしているのです。
3 集団的自衛権の行使は日本国憲法全体を破壊する
(1) 安易に戦争する国へ
集団的自衛権行使のための関連法は、「他国に対する攻撃で我が国の存立が脅かされる事態」(この事態を「存立事態」あるいは「存立危機事態」といっています)にも自衛隊が海外で武力行使することを認めるものとなります。
「存立危機事態」は誰が判断するのか
判断は政府が行いますが、遠い国でおきている軍事衝突に関する情報は国会には秘密保護法により「特定秘密」とされ提出されない場合があります。また国会の承認は事後でもよい場合があるとされており、実際には防衛に関する重要事項について決定する権限を与えられた国家安全保障会議で安倍首相を含む4人の閣僚で判断し決定され、戦争へ突入することになります。
グレーゾーンにも対処
「純然たる平時でも有事でもない事態」=グレーゾーン事態にも切れ目のない対応をすると言います。警察で対応すべき事態にも自衛隊が出動できるとし、なし崩し的に武力行使がなされる危険性も重大です。
(2) 平時においても基本的人権は保障されない
日本国憲法は戦争を想定せず、武力行使をするような有事の事態にならないように努力することこそ大事なこととしてきました。有事、つまり戦争は人権侵害の最たるものだからです。しかし、歴代の内閣は自衛のための武力行使は認められるとし、我が国が武力攻撃を受けた事態を想定し、すでに有事に関する法律ができています。そして平時から有事に備えて軍事優先、人権制限の体系が作り上げられていきます。戦争を想定しない平和憲法を持つ日本においては仮に有事の状態がありうるとしても、有事の状態(軍事行動が優先される状態)と平時(どのような大事件でも治安・警察が対応)とを峻別し、グレーゾーンなどといってなし崩し的に人権制限を拡大することは許されません。
戦後70年間、日本が攻撃されることはなく、有事法制が実際に執行されることはありませんでした。しかし集団的自衛権が行使されれば、他国への攻撃に対しても自衛隊が武力行使する可能性は確実に増し、有事として人権が制限される事態は増すでしょう。 切れ目なく人権が制限される
「純然たる平時でも有事でもない事態」=グレーゾーン事態にも切れ目のない対応をするとされていますが、有事という個人の権利が制限されてもやむを得ない事態とそうでない事態が曖昧にされ、平時でも「お国のため」と言われて個人の権利が切れ目なく制限されるという状況になる危険があります。 安倍首相は「積極的平和主義」を基本政策とすると述べ、「国益」を考えると述べ、国の存立が危ない事態と判断されるような状況においては個人の権利の保障より、国の存立が大事と判断されます。軍事優先の法制度が作られ、日本国憲法が保障する個人の尊厳はないがしろにされるでしょう。
(3) 「改憲」の下地作り=違憲の閣議決定を法制化
海外で戦争するためにはいろいろな関連法が作られ、日本国憲法が想定しない法制度をつくることになります。法律でもって日本国憲法の趣旨を変えてしまいます(立法改憲)。
(4) 日米ガイドライン「改定」のための立法化
これらの憲法の趣旨に反する法制度作りは米軍とのガイドライン(日米防衛協力の指針)の改定のためです。これまで自衛隊が米軍と共に行動できるのは日本の周辺での後方支援だけでしたが、これを地球規模で共に行動できるようにし、存立危機事態となれば共に武力行使できるようにするものです。
4 国際社会と日本の関わり方 (1) 国連憲章と憲法
国連憲章は、武力の威嚇または武力の行使を原則として禁止するとともに、紛争の平和的解決を義務づけることによって、武力行使禁止原則を確立しました(憲章第2条3、4項)。日本は国連に加盟するにあたって、軍事力による国連協力はできないとの留保付きで加盟したのです。
9条をもつ日本が国際的にはたすべき役割は、国連にあっては最終的な軍事的措置をとる前の紛争の平和的解決のための努力、侵略国に対する非軍事的措置への協力、常任理事国が引き回す現在の国連自身の民主化、そして日本がこれまで作り上げてきた武器輸出の禁止や非核三原則を国際に広げること、さらに、国際の軍縮のためにまず日本自ら自衛隊の縮小、改組をすることだと考えます。
(2) IS(「イスラム国」)などにどう対処するか
ISなどの蛮行は決して許すことはできません。しかし、9条をもつ日本は武力による対処はしません。武力による介入は一時的に表面的には紛争を治めたかのように見えても、ぬぐいきれない憎悪と暴力の連鎖を招きます。武力行使の禁止と内政不干渉は国際秩序の基本です。
ISのような武装集団が続発する根本原因を除去することに目を向けるべきです。一見遠回りに見えますが人民の地道な努力によることが結局は安定した平和な国への近道だと考えます。
5 アジア・日本の平和をどうつくるか
集団的自衛権の行使は、憲法の平和主義を真っ向から否定し戦争のできる国へと変えるものです。日本とアジア諸国との今後の関係を考える上で、アジア諸国に多大な被害を与えたことへの反省の上に日本国憲法が制定されたことを考えるべきです。過去の植民地主義と侵略戦争を反省し、アジア諸国にハッキリと謝罪し、未来をともにつくるパートナーとして、地域の平和と安定に積極的な役割を果たすことが求められています。今、アジアにおいては、平和を実現する動きがアセアン(東南アジア諸国連合)を中心に広がり始めています。軍事力ではなく、話し合いによって紛争や諸問題を解決していくことが締約国の中で共通理解となっているのです。改めて、戦後70年という節目の年、私たちは、中国や韓国との関係を改善し、アジア諸国から信頼される日本になるべきです。それは愚直に日本国憲法を守り発展させることであり、集団的自衛権行使容認の閣議決定を撤回させることでなければなりません。
2015年4月11日
NPO法人 日野・市民自治研究所
安倍政権は2014年7月1日「集団的自衛権行使の容認」の閣議決定をし、その閣議決定に基づいて集団的自衛権の行使のための関連法を今国会で成立させようとしています。本意見書はその基となる7月1日の閣議決定が憲法の基本理念である立憲主義に違反し、憲法を持つ国の政権担当者としては行ってはならないものであることを憲法の観点から批判するものです。
1 「集団的自衛権行使を容認する閣議決定」の内容
日本国憲法9条は「国の交戦権はこれを認めない」「一切の戦力を持たない」と定め、武力での紛争の解決を禁じています。しかし、これまでの内閣は、我が国が攻撃を受けたときに限り、他に手段がなく、必要最小限の範囲内で自衛のために武力行使することを認め(個別的自衛権)、このような自衛隊は防衛のための戦力であるから憲法9条に反しないとしてきました。安倍政権は、歴代の内閣が制限的に解釈してきたこの要件を、我が国が攻撃を受けた時だけでなく「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」にも自衛隊が武力攻撃(戦争)できる場合があるとしたのです。他国への攻撃に対しても日本が武力で反撃することを「集団的自衛権」といい、歴代内閣が一貫して否定してきた集団自衛権の行使に道を開こうとしています。
2 集団的自衛権行使の容認は、立憲主義に違反する
(1) 立憲主義とは
日本国憲法は、国民の人権を最高の価値として保障することを目的とします。憲法を安易に変えてはならない理由は、憲法は国民の権利を守るためのものだからです。権力を濫用しがちな権力担当者に対し、憲法に従って政治を行えと命じているからです。これを立憲主義といいます。同じ立憲主義という言葉でも、明治憲法下のそれと日本国憲法下の立憲主義とは意味が異なります。 天皇主権下の明治憲法においては、主権者であり権力を握る天皇があまりに横暴になって臣民が悲惨な目にあっては困るので、憲法は例外的にほどほどに(法律に従うなどの方法をとることにより)天皇の権力を制限しました。これが明治憲法下の立憲主義です。 日本国憲法では主権者である国民と権力を握る人が別になり、権力担当者は主権者の意思である憲法に従い、憲法に書かれていることだけを書かれてあるとおりに忠実に実行しなくてはなりません。これが日本国憲法下の立憲主義です。
(2) 9条に違反する
日本国憲法下で軍事に関する立憲主義は明白です。軍隊は、国内最大の実力であり、軍隊をどのように扱うかは、国の命運を分かつものとして、必ず憲法に規定し、国民のコントロール下におかれなくてはなりません。明治憲法でさえ、誰が統帥権をもつか、誰が宣戦布告、講和の決定権を持つか等を規定していました。憲法9条は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」とうたい、一切の戦力の不保持をうたいました。戦力の不保持による平和国家の実現を目指すとして、歴史の先取りをしたのです。
自衛隊を持ってよい、米軍を駐留させてよい、軍事同盟を結んでよい、と書いていない以上、集団的自衛権はおろか、個別的自衛権も認める余地はありません。このような憲法において集団的自衛権の行使を認めることは、主権者国民のコントロールのきかない巨大な軍隊を世界中に放つことになります。明らかな立憲主義違反です。
(3) 解釈改憲は憲法96条違反
憲法は権力者を縛るためのものですから、憲法96条は憲法を改正する場合でも要件を厳しく定めています。また96条の改正手続きを経ても日本国憲法の根本原則である「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を変えることはできないとされています。これらは「人類普遍の原理」(憲法前文1項)とされているからです。「平和主義」を解釈で変えてしまうなどということは、その原理性からも、手続き面からしても、本来考えられない立憲主義違反です。
(4) 従来の政府解釈からも許されない
1950年、自衛隊の前身である警察予備隊を国外の軍事行動に使用するかどうかとの質問に対して、政府は集団的自衛権の行使を明確に否定しました。その後は自衛隊が発足し、年々強化拡大され、世界有数の軍事力を持つ組織となりましたが、集団的自衛権の行使に関する見解は、一度たりとも変更されておらず、「憲法上認められる余地はない」というものでした。 日本が直接攻撃されないのに、他国の戦闘行為に参戦し、しかも地理的制約をなくし、世界のどこまでも出ていくことなど、安倍政権は憲法そのものを実質的に破壊しようとしているのです。
3 集団的自衛権の行使は日本国憲法全体を破壊する
(1) 安易に戦争する国へ
集団的自衛権行使のための関連法は、「他国に対する攻撃で我が国の存立が脅かされる事態」(この事態を「存立事態」あるいは「存立危機事態」といっています)にも自衛隊が海外で武力行使することを認めるものとなります。
「存立危機事態」は誰が判断するのか
判断は政府が行いますが、遠い国でおきている軍事衝突に関する情報は国会には秘密保護法により「特定秘密」とされ提出されない場合があります。また国会の承認は事後でもよい場合があるとされており、実際には防衛に関する重要事項について決定する権限を与えられた国家安全保障会議で安倍首相を含む4人の閣僚で判断し決定され、戦争へ突入することになります。
グレーゾーンにも対処
「純然たる平時でも有事でもない事態」=グレーゾーン事態にも切れ目のない対応をすると言います。警察で対応すべき事態にも自衛隊が出動できるとし、なし崩し的に武力行使がなされる危険性も重大です。
(2) 平時においても基本的人権は保障されない
日本国憲法は戦争を想定せず、武力行使をするような有事の事態にならないように努力することこそ大事なこととしてきました。有事、つまり戦争は人権侵害の最たるものだからです。しかし、歴代の内閣は自衛のための武力行使は認められるとし、我が国が武力攻撃を受けた事態を想定し、すでに有事に関する法律ができています。そして平時から有事に備えて軍事優先、人権制限の体系が作り上げられていきます。戦争を想定しない平和憲法を持つ日本においては仮に有事の状態がありうるとしても、有事の状態(軍事行動が優先される状態)と平時(どのような大事件でも治安・警察が対応)とを峻別し、グレーゾーンなどといってなし崩し的に人権制限を拡大することは許されません。
戦後70年間、日本が攻撃されることはなく、有事法制が実際に執行されることはありませんでした。しかし集団的自衛権が行使されれば、他国への攻撃に対しても自衛隊が武力行使する可能性は確実に増し、有事として人権が制限される事態は増すでしょう。 切れ目なく人権が制限される
「純然たる平時でも有事でもない事態」=グレーゾーン事態にも切れ目のない対応をするとされていますが、有事という個人の権利が制限されてもやむを得ない事態とそうでない事態が曖昧にされ、平時でも「お国のため」と言われて個人の権利が切れ目なく制限されるという状況になる危険があります。 安倍首相は「積極的平和主義」を基本政策とすると述べ、「国益」を考えると述べ、国の存立が危ない事態と判断されるような状況においては個人の権利の保障より、国の存立が大事と判断されます。軍事優先の法制度が作られ、日本国憲法が保障する個人の尊厳はないがしろにされるでしょう。
(3) 「改憲」の下地作り=違憲の閣議決定を法制化
海外で戦争するためにはいろいろな関連法が作られ、日本国憲法が想定しない法制度をつくることになります。法律でもって日本国憲法の趣旨を変えてしまいます(立法改憲)。
(4) 日米ガイドライン「改定」のための立法化
これらの憲法の趣旨に反する法制度作りは米軍とのガイドライン(日米防衛協力の指針)の改定のためです。これまで自衛隊が米軍と共に行動できるのは日本の周辺での後方支援だけでしたが、これを地球規模で共に行動できるようにし、存立危機事態となれば共に武力行使できるようにするものです。
4 国際社会と日本の関わり方 (1) 国連憲章と憲法
国連憲章は、武力の威嚇または武力の行使を原則として禁止するとともに、紛争の平和的解決を義務づけることによって、武力行使禁止原則を確立しました(憲章第2条3、4項)。日本は国連に加盟するにあたって、軍事力による国連協力はできないとの留保付きで加盟したのです。
9条をもつ日本が国際的にはたすべき役割は、国連にあっては最終的な軍事的措置をとる前の紛争の平和的解決のための努力、侵略国に対する非軍事的措置への協力、常任理事国が引き回す現在の国連自身の民主化、そして日本がこれまで作り上げてきた武器輸出の禁止や非核三原則を国際に広げること、さらに、国際の軍縮のためにまず日本自ら自衛隊の縮小、改組をすることだと考えます。
(2) IS(「イスラム国」)などにどう対処するか
ISなどの蛮行は決して許すことはできません。しかし、9条をもつ日本は武力による対処はしません。武力による介入は一時的に表面的には紛争を治めたかのように見えても、ぬぐいきれない憎悪と暴力の連鎖を招きます。武力行使の禁止と内政不干渉は国際秩序の基本です。
ISのような武装集団が続発する根本原因を除去することに目を向けるべきです。一見遠回りに見えますが人民の地道な努力によることが結局は安定した平和な国への近道だと考えます。
5 アジア・日本の平和をどうつくるか
集団的自衛権の行使は、憲法の平和主義を真っ向から否定し戦争のできる国へと変えるものです。日本とアジア諸国との今後の関係を考える上で、アジア諸国に多大な被害を与えたことへの反省の上に日本国憲法が制定されたことを考えるべきです。過去の植民地主義と侵略戦争を反省し、アジア諸国にハッキリと謝罪し、未来をともにつくるパートナーとして、地域の平和と安定に積極的な役割を果たすことが求められています。今、アジアにおいては、平和を実現する動きがアセアン(東南アジア諸国連合)を中心に広がり始めています。軍事力ではなく、話し合いによって紛争や諸問題を解決していくことが締約国の中で共通理解となっているのです。改めて、戦後70年という節目の年、私たちは、中国や韓国との関係を改善し、アジア諸国から信頼される日本になるべきです。それは愚直に日本国憲法を守り発展させることであり、集団的自衛権行使容認の閣議決定を撤回させることでなければなりません。
2015年4月11日
NPO法人 日野・市民自治研究所
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